
会話では自然に声が変わるのに、歌になると急に難しく感じる
普段の会話では、声の出し方を細かく考えることはあまりありません。
家族に「おはよう」と言う時。
少し離れた人に「すみません」と声をかける時。
その場面ごとに、私たちは声の高さや強さ、言葉の出し方を少しずつ変えています。
でも、その時に、
「今は声帯をこう動かそう」
「喉の筋肉をこう使おう」
「息の量を何割にしよう」
とは、ほとんど考えていないはずです。
それでも、相手との距離や場面に合わせて、声は自然に変わります。
ところが、歌になると急に難しく感じる人が多いです。
普段は普通に声が出ているのに、歌い始めた瞬間に喉に余計な力が入る。
高い音になると、急に声が不自然になる。
音の高さだけを狙って、声の中の流れがなくなる。
こういうことは、レッスンの現場でもよくあります。
本人としては、高い声や無理なく出る声を目指しているだけです。
正しい発声に近づこうとしているだけです。
けれど、その頑張りが強くなるほど、喉だけで声を無理やり出そうとしやすくなります。
普段の会話では、相手がいます。
言葉を届ける先があります。
声を出す理由があります。
でも歌になると、意識が急に「音程」「高音」「発声」「喉」に集まりやすくなります。
すると、声を届ける相手よりも、体の中で何が起きているかばかりが気になってしまう。
その結果、息の流れが不安定になり、声帯の振動も落ち着きにくくなる。
ここに、歌が難しく感じる理由の一つがあります。
歌が苦手だから、声の才能がないから、という話ではありません。
普段の会話で自然にできていることが、歌になると見えにくくなっているだけかもしれないのです。
では、普段の会話の中にある声の働きを、歌にどうつなげればいいのか。
次は、その結論からお話しします。
歌の上達は、特別な声よりも普段の会話にヒントがある
先に結論を言うと、歌が上達するヒントは、特別な声を作ろうとすることだけにあるのではありません。
むしろ、普段の会話の中にあります。
たとえば、小さい子どもに話しかける時。
多くの人は、少し高めで、やわらかい声になります。
遠くにいる人を呼ぶ時。
自然と息の流れがはっきりして、声も相手に届きやすくなります。
初対面の人に丁寧に話す時。
声は少し落ち着き、言葉の出し方も慎重になります。
このように、人は相手や場面によって、声をかなり細かく変えています。
しかも、その変化は頭で細かく考えて起きているわけではありません。
「子どもに話すから、声帯をこの状態にしよう」
「遠くに届けるから、喉をこの形にしよう」
とは考えません。
相手がいて、距離があり、伝えたい内容がある。
その状況に合わせて、息の流れや声の高さ、声の強さが自然に変わっているのです。
これは、歌にもつながる大事な視点です。
歌になると、多くの人は「無理なく出る声」を作ろうとします。
もちろん、それ自体は悪いことではありません。
ただ、声を作ろうとしすぎると、意識が喉だけに集まりやすくなります。
高音に入る時も、
「この音を出さなければ」
「声を外してはいけない」
「もっと響かせなければ」
と考えすぎると、声が相手に向かうより先に、喉だけで頑張りやすくなります。
でも普段の会話では、そうではありません。
誰かに呼びかける。
何かを伝える。
相手に届くように言葉を出す。
その時、声は「音」だけではなく、「伝える行為」として出ています。
歌も本来は同じです。
音程を合わせることも、発声を学ぶことも、呼吸を支えることも大切です。
けれど、それらが全部、声を届けることから切り離されると、歌は急に難しくなります。
だから、歌が上達したい時ほど、普段の会話に目を向ける価値があります。
自分は、誰に話す時に声が楽になるのか。
どんな場面だと、息の流れが安定しやすいのか。
遠くに呼びかける時、声を出す前から息の流れが起きているか。
丁寧に話す時、声が無理なく保たれている時はどんな状態なのか。
そういう普段の声の変化を見ていくと、歌の中で何を大切にすればよいかが見えやすくなります。
特別な声を探す前に、すでに自分の中で起きている自然な声の働きに気づくこと。
そこから、歌の上達は始まります。
声は「誰に届けるか」によって出し方が変わる
では、なぜ普段の会話には、歌が上達するヒントがあるのでしょうか。
それは、人の声が「誰に届けるか」によって変わるからです。
たとえば、すぐ目の前にいる人に話す時と、少し離れた場所にいる人を呼ぶ時では、声の出方が変わります。
目の前の人に話す時は、そこまで強い声は必要ありません。
息の流れも、言葉の出し方も、近い距離に合ったものになります。
でも、遠くにいる人を呼ぶ時は違います。
「すみません」
「こっちです」
「聞こえますか」
こういう声を出す時、体は自然に遠くへ届ける準備をします。
息の流れがはっきりする。
声の立ち上がりがはっきりする。
言葉も少し大きくなる。
必要に応じて、声の高さも変わる。
この時、声帯だけを考えているわけではありません。
けれど、相手との距離がはっきりしていることで、呼吸と喉が一緒に働きやすくなります。
声を出す前から息の流れが起きているかによって、声の出方も変わります。
これは、子どもに話しかける時も同じです。
小さい子どもに向かって、低く重い声でぶっきらぼうに話す人は少ないと思います。
多くの場合、安心して聞けるように、声の高さや強さが自然に変わります。
その時も、声帯をどうするかを細かく考えているわけではありません。
「怖がらせないように」
「伝わりやすいように」
「安心して聞けるように」
そういう相手への意識が先にあり、その結果として声が変わります。
丁寧に話す時も同じです。
初対面の人に話す時、私たちは自然に言葉を選びます。
声の強さも、話す速さも、少し変わります。
相手に失礼がないように、伝わりやすいように、声の出し方が変わっていきます。
つまり、声は単なる音ではありません。
相手との距離や関係、その場の空気、何を伝えたいのか。
そうした条件によって、息の流れや声の高さ、声の強さが変わります。
ここで大切なのは、人は普段からそれを自然に行っているということです。
歌になると、つい「音の高さだけを狙って」しまいます。
高音に入る時ほど、音を外さないように、声を強くしようとして、喉だけで声を無理やり出そうとしやすくなります。
でも、普段の会話では、声はもっと相手に向かっています。
誰に届けるのか。
どれくらいの距離に届けるのか。
どんな気持ちで届けるのか。
それがはっきりすると、息の流れも変わり、声帯が細かく反応する準備も起きやすくなります。
音程を無視してよい、という意味ではありません。
発声を学ばなくてよい、という意味でもありません。
ただ、声を「体の中だけの問題」として考えすぎると、喉に余計な力が入りやすくなります。
反対に、声を届ける相手や方向がはっきりすると、呼吸と喉が一緒に働きやすくなります。
普段の会話には、その手がかりがたくさんあります。
喉だけを見るより、相手を思い浮かべる方が声は動きやすい
ここで、少し考え方を変えてみます。
歌がうまくいかない時、多くの人は体の中を一生懸命見ようとします。
喉はどうなっているか。
声帯はどう動いているか。
息はどれくらい出ているか。
高音に入る時、どこに力を入れればいいのか。
もちろん、発声を学ぶうえで体の働きを知ることは大切です。
私自身も、呼吸や喉の働きを無視してよいとはまったく思っていません。
ただ、体の中ばかりを意識しすぎると、かえって声が出にくくなることがあります。
これは、歌だけの話ではありません。
たとえば、誰かにボールを投げる時を考えてみてください。
相手の胸元に向かって、自然にボールを投げる。
この時、多くの人は腕の角度や手首の使い方を細かく考え続けているわけではありません。
相手がいて、そこに届けようとする。
その目的があるから、腕や手首や体の動きがつながって働きます。
ところが、投げる途中で体の細かい動きばかり気にし始めると、かえって余計な力が入りやすくなります。
本来は相手に届けるための動きだったのに、自分の体の中ばかりが気になってしまうからです。
声も、これに近いところがあります。
歌う時に、喉だけを考えすぎる。
声帯だけを意識しすぎる。
音の高さだけを狙って声を出す。
そうなると、声が相手に向かう前に、喉だけで声を無理やり出そうとしやすくなります。
そこで役に立つのが、「外的焦点」という考え方です。
外的焦点というのは、簡単に言えば、自分の体の中だけではなく、声の行き先や結果に意識を向けることです。
歌で言えば、
「喉をどうするか」だけではなく、
「この声を誰に届けるのか」
「どの距離に届けるのか」
「どんな言葉として伝えるのか」
に意識を向けることです。
これは、感覚だけの話ではありません。
運動学習論でも、体の細かい動きを意識しすぎるより、動きの目的や行き先に意識を向けた方が、結果として動きがつながりやすいと考えられています。
歌も体を使う運動です。
声帯だけで歌っているわけではありません。
呼吸があり、喉があり、舌や口の動きがあり、言葉があり、相手に届けようとする意識があります。
そのすべてが関わって、声が出ます。
だから、歌う時に喉だけを細かく意識しすぎると、息の流れが止まりやすくなります。
息の流れが不安定になり、声帯の振動も落ち着きにくくなる。
反対に、相手をイメージすると、声は動きやすくなります。
たとえば、目の前の一人にそっと伝える声。
少し離れた人に呼びかける声。
子どもを安心させるように話す声。
大事な言葉を、丁寧に届ける声。
こうしたイメージがあると、声はただの音ではなくなります。
言葉として、相手に向かうものになります。
この時、呼吸も変わります。
遠くに呼びかけるなら、声を出す前から息の流れが起きているかが重要になります。
やわらかく伝えるなら、息の流れが乱れすぎないことが大切になります。
丁寧に言葉を届けるなら、声が無理なく保たれている時の感覚が必要になります。
つまり、相手をイメージすることは、ただ気分を作ることではありません。
呼吸と喉が一緒に働きやすい条件を作ることでもあります。
もちろん、これだけで発声の問題がすべて解決するわけではありません。
でも、喉だけを見つめ続けて歌いにくくなっている人にとっては、大きな転換点になります。
歌は、自分の体の中だけで完結するものではありません。
声を出した瞬間、その声には向かう先があります。
その向かう先をはっきりさせることで、声を動かす感覚が変わっていきます。
喉だけで声を無理やり出そうとしてしまう原因は、喉で歌わない方法|喉で歌ってしまう原因と改善法でも詳しくお話ししています。
ただし、イメージだけで歌が安定するわけではない
ここまで、相手をイメージすることの大切さをお話ししてきました。
ただし、ここで一つ注意があります。
「誰かに届けるイメージを持てば、それだけで歌が上達する」
という話ではありません。
ここを曖昧にすると、発声の話がただの感覚論になってしまいます。
イメージは大切です。
でも、イメージだけで息の流れが安定するわけではありません。
イメージだけで、喉に余計な力が入る状態がすべてなくなるわけでもありません。
声を出すには、やはり体の働きが必要です。
特に大切なのは、呼吸を支えることです。
声は、喉だけで作るものではありません。
息の流れがあり、その息の流れに対して声帯が細かく反応することで、声になります。
この時、息の流れが不安定だと、声帯の振動も落ち着きにくくなる。
すると、声が不自然になる。
高い音では、喉に余計な力が入りやすくなる。
だから、相手をイメージすることと、呼吸を支えることは切り離して考えない方がいいです。
たとえば、遠くの人を呼ぶ声をイメージするとします。
ただ頭の中で「遠くへ届ける」と思うだけでは、声は変わりません。
大切なのは、その時に体の中で何が起きているかです。
声を出す前から息の流れが起きているか。
丹田周辺に少し力が入り、息の流れを下から支えられているか。
喉だけで声を無理やり出そうとしていないか。
ここが伴って、初めてイメージが発声に結びつきます。
小さい子どもに話しかける声も同じです。
やわらかい声を出そうとして、ただ弱くするだけでは、声は不安定になります。
息の流れが弱くなりすぎると、声が細くなったり、言葉が届きにくくなったりします。
やわらかい声であっても、息の流れは必要です。
声が無理なく保たれている時は、弱い声の中にも支えがあります。
つまり、イメージは入口です。
その入口から、呼吸と喉が一緒に働く方向へつなげていくことが大切です。
ここを間違えると、
「気持ちを込めればいい」
「雰囲気を作ればいい」
「なんとなく遠くを見ればいい」
という話になってしまいます。
でも、それでは歌は安定しません。
歌には音の高さがあります。
言葉があります。
息の長さがあります。
曲の流れがあります。
そこに対して、息の流れが安定していなければ、声も安定しにくくなります。
だから私は、イメージを否定しません。
むしろ、とても大切だと思っています。
ただし、イメージは呼吸と喉の連動を助けるために使うものです。
喉だけを考えすぎて歌いにくくなっている人にとって、相手をイメージすることは大きな助けになります。
けれど、その時も、声を支えるのは呼吸です。
丹田周辺に少し力が入り、息の流れが安定している。
そのうえで、誰に届けるのかがはっきりしている。
この二つがそろうと、声は無理に作ったものではなく、相手に向かう声になりやすくなります。
イメージだけでは足りない。
でも、イメージがあることで、呼吸と喉の働きはつながりやすくなる。
このバランスが、歌の上達にはとても大切です。
呼吸を支える感覚が分かりにくい方は、丹田から声を出す方法|初心者の方が知っておきたい発声の基本も参考になります。
ボイトレは、普段の声の自然な働きを歌につなげること
歌が上達したいと思うと、多くの人は特別な声を探します。
もっと高い声。
もっと響く声。
もっと強い声。
もっと歌らしい声。
もちろん、そういう声を目指すこと自体は悪いことではありません。
ただ、その前に見てほしいものがあります。
それが、普段の会話の中で自然に起きている声の変化です。
人は、目の前の人に話す時と、遠くの人を呼ぶ時で声を変えています。
子どもに話しかける時と、大人に丁寧に話す時でも声が変わります。
大切なことを伝える時は、言葉の出し方も変わります。
これは、特別な発声練習をしているから起きるわけではありません。
相手がいる。
距離がある。
伝えたいことがある。
その条件に合わせて、息の流れや声の高さ、声の強さが変わっているのです。
歌の練習でも、この視点はとても大切です。
音程やリズム、発声の仕組みを学ぶことは大切です。
けれど、そこだけに意識が集まりすぎると、声は相手に向かいにくくなります。
音の高さだけを狙って、喉だけで声を無理やり出そうとする。
無理なく出る声を作ろうとして、喉に余計な力が入る。
声を作ろうとしすぎて、声が不自然になる。
こういう状態になりやすくなります。
だから、歌う時こそ一度、普段の会話に戻ってみるのです。
遠くの人を呼ぶ時、自分の体はどう準備しているのか。
子どもに話しかける時、声はどんなふうに変わるのか。
丁寧に伝える時、息の流れはどう保たれているのか。
声が無理なく保たれている時、自分は何を意識しているのか。
そこに、歌につながるヒントがあります。
もちろん、会話の声をそのまま歌に使えばよい、という意味ではありません。
歌には音域があります。
音の長さがあります。
フレーズがあります。
日常会話よりも、息の流れを長く保つ必要があります。
だからこそ、普段の声にある自然な働きを、そのまま放っておくのではなく、歌の中で使える形へつなげていく必要があります。
そのために、呼吸を支えることが大切になります。
丹田周辺に少し力が入り、声を出す前から息の流れが起きているか。
その息の流れに対して、声帯が細かく反応する状態になっているか。
そして、その声が誰に向かっているのか。
この三つがつながると、声は喉だけで声を無理やり出そうとするものではなくなります。
声を動かすために、相手をイメージする。
息の流れを安定させるために、呼吸を支える。
その上で、歌の言葉を届ける。
ここに、普段の会話と歌のつながりがあります。
ボイトレは、日常から離れた特別な声を無理に作ることだけではありません。
普段の会話の中で、すでに自分が自然に行っている声の働きに気づくこと。
その働きを、呼吸と喉の連動へつなげていくこと。
そして、歌の中で相手に届く声として使えるようにしていくこと。
そこに、歌が上達する大きなヒントがあります。
特別な声を探す前に、普段の会話に目を向けてみてください。
自分の声は、相手によってすでに変わっています。
その変化の中に、歌につながる自然な手がかりがあります。